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こども食堂のおばちゃんのコラム

明治時代の日本のこども その3

 

~イザベラバード 「日本紀行」で語られた 142年前のこどもたち~

画像:長月こと葉/イラストAC

これまで2回(→その1その2)に分けて、イギリス人女性イザベラ・バード(→Wikipedia)が東京~日光まで旅し、そこで垣間見た家族と子どもたちについて考察してみました。彼女は当時47歳。それまで、世界中を旅し、様々な記録を残していました。

 

日本には明治11年(1878年)5月に横浜港に降り立ち、12月に日本を離れるまでの約7か月間、東京から北海道まで、その後大阪・神戸・京都・伊勢神宮を旅して日本の当時の様子を記録に残しました。目的はキリスト教の普及にあったそうですが、当時の外国人が足を踏み入れない地方に足を運び風習や生活習慣を記録としてまとめたものは、大変貴重な資料となっています。

 

今回は蝦夷(現在の北海道)の旅について記してみます。これまで明治期の親は子どもをとても大切にしていることや、子どもを可愛がっていること、子どもの躾が行き届いていること、それに加えて子どもも大人の言付けを守り礼儀正しいことなどを、イザベラの目で見て感じたことを書き綴ってきました。

イザベラは、日光から新潟~山形~秋田~青森と日本海側を旅し、函館に至っています。当時の北海道は推定人口12万3,000人でした。(蝦夷に関するノートより)

「山脈の集まりで平地は良く草が生え、水に恵まれている。土地の多くは人の踏み込めない密林や沼が覆っている」(蝦夷に関するノートより)

少々話は逸れますが、明治5年(1872年)東京で北海道の開拓に従事する人材育成のための機関が設立され、明治8年札幌に移転、翌年に札幌農学校(現北海道大学農学部)と命名されました。明治9年9月に「少年よ!大志を抱け!」で有名なクラーク博士(→Wikipedia)が教頭として(実質的には校長)、マサチューセッツ農科大学に1年休暇を取って札幌農学校に赴任したと言われています。9ヶ月という短い期間でしたが、多大な影響を与えた人物でした。

 

残念ながら、イザベラが日本にやってきたのは、クラーク博士が離日して1年後の事ですから、出会うことはありませんでした。もし2人が交友することがあったら、どんな展開になったでしょうか。想像して見るだけでも面白いですね。因みに、クラーク博士が札幌農学校に赴任するきっかけを作ったのは、同志社大学を創立した新島醸(→Wikipedia)だということも、明治ならではの逸話です。

イザベラが北海道で最も関心を持ったのはアイヌ民族でした。アイヌについて40信から46信まで事細かに報告しています。彼らの生活、風習、家族、伝統、祭り、そして教育などです。

 

1873年の政府の調査では、アイヌの人口は12,281人(蝦夷に関するノートより)、前述した北海道の推定人口は12万3千人程度と言われていますから、その約1割です。2018年の調査では北海道居住のアイヌ人口は13,118人(北海道アイヌ生活実態調査より)で、142年前とあまり変わってはいません。ただし、この数字は各市町村で把握出来た数字であり、全数ではないと但し書きがあります。多分差別等の問題があり、実体はこの何倍もの人々がいるのではと推測されます。2019年の北海道人口は約530万人ですから、その割合は歴然としています。

 

イザベラはアイヌの人々や蝦夷について、

「多毛のアイヌと呼ばれてきたこの未開人は、鈍くて温和で気立てが良く従順である。日本人とは全く異なった民族である」

 

「本州で嗅ぎ取ったより自由な雰囲気」で「川で泳ぎ、山に登り、森で火をおこす という半ば未開の生活を送っても規則を侵さずに済む。本州で出来ないことは全てできる」

と記しています。さらに、蝦夷での滞在について、

「私の蝦夷の思い出は、ある面において日本で得た最も楽しい思い出」

と書き残しています。

 

さて、ではアイヌの人々、とりわけ子どもはどうだったのでしょうか。子どもについての記述を見て行きたいと思います。1878年8月平取のアイヌ小屋で過ごした記録があります。

「アイヌは一日2食で朝食は前夜の夕食と同じです。全員一緒に食べ、私はご飯の残りを子どもたちにやりました。裸で白めの小片を首から下げただけの3歳、4歳、5歳の子どもたちは貰ったご飯を食べる前に、まず親にきちんと許しを求め、その後両手を振りました。子どもたちは従順ですぐに言う事を聞きます。親の情愛の示し方は日本人よりあらわで、よく子どもたちを撫で、男たちのうち二人は自分のではない子どもたちを大変可愛がっています。日本の子どもたちと同じように重々しくて威厳あり、とても優しい子どもたちです」(第41信より)

イザベラは、アイヌについてこんなことも述べています。

「私が会ったアイヌは2~3の例外を除いて全員が非常に酷いことをやってのけそうな逞しい体つきで、何とも猛々しい未開人の見かけをしていますが、しゃべり始めると途端にその顔はまるで女性のような笑顔に変わります。その様は長く忘れられそうにありません」

 

「目鼻立ち、表情、顔つきはアジア的というよりむしろヨーロッパ的です」(第42信)

アイヌ男性の見掛けと実際の優しい微笑みのギャップに感激したようです。女性は美しい体型で、姿勢が良く、しなやかさと、こちらも大変好意的に書き残しています。

 

また、アイヌの風習についても触れています。

「刺青はいたるところに施しています。刺青は5歳から始まり、中にはまだ乳離れしていない子どももいます」

 

「唇の模様は結婚するまで毎年幅と深さを増していき、腕の環状模様も同様に足していきます。男たちに聞いても、この風習が広がった原因を何一つ知りません。昔からの風習で宗教的なものだ。刺青のない女性は結婚できないと彼らは言います」(第42信)

子どもたちについて、

「とても愛らしく、魅力的で、顔からは大人とは違い知性を秘めている物が感じられます。子どもたちはたいへん愛されており、撫でたり、撫でられたりしています」

と子どもについても優しい眼差しを向けていることが判ります。そして、

「子どもたちは赤ん坊の頃から大人の言う事には即刻、無条件に従わなければなりません。またごく幼い頃から物を取ってきたり運んだり使い走りをさせられたりします。私は、せいぜい2歳にしか見えない子どもたちが薪を取りにやらされるのを見たことがあります。またこの年齢でも礼儀作法を守ることを徹底して躾られているので、歩ける年齢に達した子どもはこの家に出入りする時でも、母親だけは例外として、家の中にいる人々それぞれに必ずキチンと挨拶します」(第42信)

子どもの礼儀正しさについて述べていますが、現代の子どもと比較して少々耳が痛くなるのは私だけでしょうか。

「両親に対する子どもたちの態度はとても情愛が籠っています。丸裸の小さな子どもが一人、それまで2時間じっと座って大きな茶色の目で炉の火を見つめていたのが、母親が部屋に入ってくると、駆け寄って出迎え、母親に抱きつきました。母親は本当に母親らしい優しい表情とキスでそれに応えていました。まったく無邪気さそのものの子どもたちは、完璧に従順であれこれ詮索したりせず、とても心奪うものです」(以上第42信)

イザベラはアイヌについて40信から46信まで7回も事細かに報告しています。辛口だったり、侮蔑的な部分もありますが、アイヌに大変興味を持ち、好意的でアイヌの人々にむしろ魅せられていたように私は感じました。

「アイヌは未開の人々の中では疑いなく高位にいます。」

 

「真実は、彼らの目で見れば価値あるもので、これはそのこと自体、彼らを他の一部より優れた民族としています。間引きの習慣は全くなく、老齢の親は子から敬われ、やさくしされ、世話を受けますし、彼らの社会的な関係、家庭内の関係には賞賛に値するものが多くあります。」(第42信)

このように、アイヌは未開人でありながら、親子の情愛には何処にも引けを取らないものがあり、それが過去から延々と受け継がれていて、文化でもあると捉えています。生活は決して豊かではありませんが、人と人との関わりや情は豊かそのものだと感じたのではないでしょうか。だから「日本で得た最も楽しい思い出」と書き記したのだと思います。

 

今回は、イザベラが興味を持ったアイヌについて―何しろ7回に渡って事細かに本国イギリスに報告しているので―考察してみました。外国人の目から見た当時の日本人とアイヌ文化は大変貴重な資料と言えるでしょう。

 

次回は、蝦夷から東京に戻り大阪・京都・神戸・伊勢神宮へと旅し、日本を離れるまでの旅について書いてみたいと思っています。

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